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廃墟班夏合宿~東北巡礼~

かなり遅くなってしまったが、廃墟旅行の記事が完成した。ちょっとした事故で結構前から中途半端に公開されてたなんて気にしない。


9月1日~6日の間に、廃墟班の夏合宿があった。9月1日というのは当然合宿の次の日なわけで、その9月1日に始発に乗って家を出なくてはならなかった僕の不安は計り知れない。しかも、今回は班長の強引な経費削減政策によって5泊中4泊がテント泊であり、そのテント係がなんと僕だったので、遅刻も欠席も許されない状態だった。

31日(まだ連泊祭りは終わってないぜ状態)
計4個のアラームを合宿から帰ってきた眠い目で仕掛け、大きな不安を抱えながら就寝。あれほど緊張した就寝は受験の時にもなかったと思う。

1日
無事起床。本当によかった。まあ2つのアラームは止められていたんだけれど。
予定通り6時30分に渋谷に集合し、圧倒的に長い青春十八切符の旅が始まった。総時間10時間16分(乗車時間9時間2分)  乗換回数9回  総額8,190円(18切符によって2300円に!)  距離535.8km・・・・・・・・・・。自分はこの旅でものすごく気の長い人間になることができたと思う。
その間の苦し紛れの暇つぶしは割愛
到着はほぼ17時。その日は盛岡にて初野宿だったのだが、盛岡駅はとても奇麗なところで、夜になってもほとんどDQNの方々はいなかった。未開発の川岸で野宿地をなんとか発見し、次の日に備えて食料を買い込み、夜を待つ。車内で自らのデジカメが充電されていないことに気がつき、かなり慌てていた廃墟班班長だったが、なんとか市内で充電場所を発見し安息を得ていた。
ちなみにこの日の夕飯は盛岡冷麺。調べて一番評判の良かったお店に入り、かなり美味しい冷麺を食べさせてもらった。ちょっぴり観光気分。
夜、暗くなってからのテント内は怪談話で盛り上がった。皆ほとんどのソースはコピペだったが、普通に恐ろしいものが多く、だんだん洒落にならないくらい怖くなってきた。外はまっくらだったし、最終的に「もうやめよう!」みたいになって就寝。いやあ本当怖かった。
2日
テントの朝露がひどかったが、干す暇もないのでそのまましまって移動。一日に一本しかないバスに乗り、松尾鉱山をめざす。今回のこの物件はかな有名なので、ちょっと趣向を変えてオープンにしてみようと思う。

松尾鉱山の歴史は、明治15年、松尾の人佐々木和吉氏が硫黄の大露頭を発見したことに始まるが、その開発は紆余曲折を経た。
大正3年8月、横浜の貿易商増田屋が、当主増田嘉兵衛の二男中村房次郎を社長に据えて松尾鉱業株式会社を創設し、以来、順風満帆の発展を続け、東洋一の硫黄鉱山といわれるまでになった。最盛期には従業員4?000人、鉱山の人口1万5?000人を数え、鉄筋コンクリート造り完全暖房のアパート、県内一の総合病院や劇場などが次々に建設され、中央から第一線の芸能人が来山するなど、標高1?000メートルの山上に近代都市が出現、“雲上の楽園”と称された。
 国策にものった硫黄、硫化鉱の生産であったが、昭和30年代に入り、安い国外硫黄の輸入や化繊、パルプ業界不振の影響などで会社経営に暗雲が広がっていたところへ、いわゆる回収硫黄(石油精製の過程でできる)の出現が決定的なダメージを与え、昭和44年11月、半世紀の栄華を誇った東洋一の硫黄鉱山もついにその幕を閉じた。(全国山村振興連盟HP 松尾村より引用)

そして廃墟となりいまだに残っている松尾鉱山は、日本で二番目に大きいと言われる廃墟であり(一位は言わずと知れた軍艦島)とても一日で回りきれるものではなく、バスの時間の都合などもあってその日は廃墟で一泊の予定となっていた。
予定通り松尾鉱山に到着し、アパート跡の屋上をベースキャンプにして早速探索開始。現在この廃墟残っている物件はアパート11棟と独身寮2棟、学校の廃墟である「生活学園」なので、とりあえず最も興味のある生活学園へ一同は向かう。
生活学園の中にはいたるところに大量のBB弾が落ちており(推定10万発以上)、様々な集団がサバゲーをしたことが容易に想像できた。学校内部と体育館は、部屋の一部が真っ赤に塗りたくられた赤い部屋や、階段中に散らばった給食用の皿、ボロボロになったマネキンなど見どころがたくさんあり、かなり面白かった。
生活学園で昼を過ごした後は、そのまま松尾鉱山を一周して独身寮へ。こちらはアパート群から遠い分、人が全然侵入しておらず、残留物がたくさんあって楽しめた。
独身寮を回り終えたあたりで日が沈んできたので、8時間に渡ったその日の捜索は終了。みんなくたくただったので、すぐにテントに入って寝る????はずが、なかなか寝付けない。そのうち一人が、定期的にバン!という音がする、と言いだし、なんだか怪しい空気に。班長が「月とか夜の廃墟をみたいし、その音も気になるなら一度テントから出ようぜ」というと、「いやいやありえない」と他の3人が反対する(正直怖すぎてみんな外に出たくなかった)みたいなやりとりを30分位つづけた後、ついに観念してテントから出ることに。一度出てしまえば案外怖くないもので、結局、外で1時間くらい集合写真を撮ったり涼んだりしてくつろいだ。
ようやく落ち着いてテントの中に入り、今度こそ寝よう!となったのだが、次は絶えず強風がテントを襲うようになり、いろんな意味で廃墟班の不安をあおったためなかなか寝付けなかった。それでも疲れから、23時くらいにはみんな寝付いた。
3日
朝は日が昇ったらすぐに探索に行く予定だったので、5時起床。いったん外に出て歯を磨き、テント内で朝食をとった後にテントをたたもうともう一度外に出ると、すさまじい霧が発生していた。霧の中の幻想的な廃墟に興奮し、30分くらい写真を撮った後でようやく皆我に返り、テントをたたんで出発した。この日回るのはアパート11棟。全部同じような構造であるため途中で飽きてしまうことは間違いなかったが、霧の中の探索ということでテンションが上がり、誰も気にしなかった。
しかし危惧したとおり、はじめは中央階段や大浴場に興奮していた廃墟班も、4棟目を回ったあたりから露骨に飽きがきて、「もう終えてベースキャンプに帰ろう」という声がちらほら上がるようになっていた。
そのまま7棟目に到達し11時を回ると、疲れと飽きから小さくしていた声もだんだんと大きくなり、そんな中、この旅行中ですでに何度も使いまわされた「オンドゥル語」が再び話題となった。話のままの流れで班長が「ウゾダドンドコドーン!!」と叫びながら階段を駆け上がると、そこには閉じられた襖が。廃墟の中で襖が閉じられている場所はほとんど無い(基本的に破壊されているため)ので、不思議に思った一同は、ガラッと襖を開けた。
・・・・・・・・・するとそこには同業者(20代位のお兄さん)が。
お互い、あまりの気まずさから(特にこちら)「あ、こんにちは・・・・・」みたいになり、ロクな会話もしないまま廃墟班は急いでその場を離れた。あまりにくだらない会話をしながら(しかも大声)の廃墟探索だったので、頭の悪いDQNにしか見えなかったな、とその後一同反省した。

そんなちょっと気まずい失敗にもめげず、廃墟班は8棟を探索終了。丁度お昼時だったので、ボイラー跡で昼食を取りつつ今後の動きを相談した結果、残りの3棟の探索は有志で行うとして、とりあえずはベースキャンプに戻ることとなった。
一行はベースキャンプに戻ると、テントを干し、そのまま自由行動となったので、早速僕と班長は、テントと一緒に涼んでいると言う2名を残して遠出をすることに。松尾鉱山から少し離れたところ(徒歩20分位)にある温泉とユースホステルに行き、人と触れ合おうとしたのだ。
温泉への道は上り坂で、長く険しかったがなんとかたどりつくことができた。僕はその場で温泉セットは持っていなかったが、場合によってはタオルを買ってでも入浴する気でいたので、楽しみに正面入口へ向かったが…

は…廃墟になってる…

入浴できなかったというより、散歩の目的地がナチュラルに廃墟になっていたことに驚いた。
しかし、こんな幸運を逃す手は無い。気持ちを切り替え、班長と周辺から侵入口を捜す。建物をぐるりと回ると、露天風呂跡を発見。ここから入れるかもしれないと、扉に手をかけるが、当然開かない。
意地になって数分間物理的な侵入を試みたが、全く開かない。ここで一旦頭を冷やし、温泉には男女で露天風呂が2つ用意されていることを思い出したので、急いで壁を越え、そちらを試してみると…

開いた

今となっては、何故片方の扉だけ開いていたのかは謎だが、とにかく入ることができてよかった。
今年の2月に閉鎖した物件だったので、内部はかなり綺麗で、我々が最初の侵入者であることは明らかだった。暫く温泉廃墟を楽しみ(連日の無理が祟り、二人ともカメラの電池がほとんど無かったことが非常に残念だったが)奥に進むと、なにやら他の施設へ続く階段が。廃墟から普通の施設に階段が続くはずが無い。期待しながら階段を上ると、やはりホテルの廃墟に繋がっていた。
つまり、ここは温泉+ホテルの巨大廃墟だったのだ。
唐突な発見に興奮しつつも、ほとんど写真に収めることができないことに苦しめられたが、バスがくるまであまり時間が無いので、手短に1時間程で探索を終えた(探索によって、さらにとなりの食堂までもが廃墟になっていることがわかった)。
探索を終えた後は、ホテルと一緒に廃墟になったスキーリフト跡を見つつ、湿地帯の散歩道を利用して帰った。散歩道は沼に板をかけただけのものだったため、途中ぬかるみが激しく、僕は両足を沼に突っ込んで残念な気持ちになった。
びしょびしょの足でなんとかベースキャンプまで戻ると、バスがくるまでもう時間が無い。急いで荷物をまとめ、松尾に別れを告げた、
盛岡に戻ると、すぐに予約したビジネスホテルへ行き、荷物を置いてから班長たっての希望で盛岡城跡を見学し、そのままの足で夕飯のラーメンを食べに行った。
その後は、一日ぶりの風呂を楽しみ、ゆっくりしてから眠りについた。

4日
朝は5時起床。荷物を背負って、盛岡駅へ急ぐ。
この日訪れるのは、岩手の海岸近くにある田老鉱山。到着まで5時間かかるので、その間にたっぷり寝た。途中、乗り替えの都合上、港近くの駅で1時間位時間があったので、自転車を借りて魚港まで様子を見に行った。しかし、期待していた市場がやっていなかったので、駅前の市場で鰹を買って、電車内で頂いた。美味しかったなあ…。
田老駅に到着してからさらに2時間弱歩き、ようやく田老鉱山跡に到着した。最初に我々を出迎えたのは、住居跡。しかし、時間が無かった上、松尾で嫌と言うほど住居跡を見てきたので、ここは適当に見るだけにしてそのまま進むと、鉱山の全体像が見えてきた。
とりあえず横にすぐ幼稚園跡があったので、すぐに鉱山跡に入りたい衝動を抑えながら、そこに入った。窓から侵入し、探索をしようと奥まで行くと、地面になにやら大量の黒い物体が。見おぼえがあったので、まさかと思って上を見上げると、やはり30匹くらい蝙蝠がいた。さらに近付くと、思ったとおり黒い物体の正体が糞であることがわかった。しばし、超間近での蝙蝠を楽しみながら、一通り内部を探索。時間がないのですぐに出ていかなくてはならず、別れを惜しみながらその場を離れた。貴重な体験ができてよかった。
蝙蝠幼稚園を離れると、念願の田老鉱山跡見学を開始。あまりの大きさとかっこよさに夢中で探索した。
1時間程かけ、1、2階部分をあらかた見終わると、自然と上の階へ行く話になった。ただ、ここでの問題は、3階部分へ行くための階段がほとんど老朽化しており、いつ崩れてもおかしくないこと。
しかし、若さとは無謀。ここまで東京から何時間かけてきたんだとお互いを奮い立たせ、班長と共に階段を上がることに。
いざ上がる段階となると、例によって自分が先陣を切らされた。足を踏み出すと、案外丈夫そうだったので思い切って上がってみた。しかし、ここで最初のピンチに直面する。
し・・・・下が見える・・・・・
階段の足を置く部分がよくあるフェンス型だったため、下が見えてしまうのだ。自分は高所恐怖症なので、足がすくんでしまった。それでも、もう戻ることは許されない。鬼畜な班長が、戻ることを許さないからだ。とっと安全確認せいと言わんばかりに後から付いてくる。ここで戻ったら共倒れ必至。尋常じゃない量の汗を流しながら、なんとか登りきった。
それから、達成感と高揚感を覚えながら意気揚々と3階部分の探索を行っていたのだが、すぐに最悪の発見をしてしまった。
パネル室があるのだ。
・・・・・・・・・・スカスカな通路の先に
もちろんここまできてしまった以上、パネル室に入らない選択はあり得ない。しかし、この「落ちたら死ぬよ!」と常に語りかけてくる通路を通ることもあり得ない。
20分くらい、班長と「お前が行ったら俺も行く」と言いあった後、どちらかは忘れたが、妙案が提案された。それは、通路に強度上の危険は感じられず(既に何度か投石による強度実験を行った後だった)、下が見えるから怖いのであって、通路の上を木材で覆ってしまえばいいのではないか、というものだった。
思いついたらすぐに実行に移した。そこらに落ちていた木材を通路に敷き詰め、その上を進んだのだ。足は笑いっぱなしだったが、なんとか渡り切ることができた。
RPGで宝を手に入れたような気分で写真を撮りまくり、腕の震えがおさまったあたりでもう一度通路を通って戻った。2回めだったので、足がガクガクするだけで済んだ。
知恵と工夫で田老鉱山を攻略し終えたので、次に町民講堂後へ移動した。田老鉱山を経営していた会社の閉山式の時のまま椅子が放置されており、なんだか怖かった。ここで、全く姿を見ていなかったTと合流。何をしていたのかと聞くと、近くの大学キャンパス(こんな辺鄙な土地を買ってキャンパスにしている大学が近くに1つだけあった)まで散歩に行って、立ち話をしてきたとのこと。やはり山奥だけあって大学には教員が2,3名いただけらしく、熊が近くにいて危ないという有益な情報を仕入れてきてくれた。
そのまま3人で駐屯所などの主要物件を一通り見終え、そろそろバスの時間も迫ってきたので帰ろうと、別れて1人で探索していたはずのHを探すが、なんと、どこにもいない。
一同は顔面蒼白となり、急きょHの捜索を開始した。田老はいたるところが老朽化しているため、いつどこで事故にあっていてもおかしくはない。バスの時間が迫る中、懸命な捜索が行われたが、一向にHは見つからない。真剣にバスの時間がまずくなってきた上、雨も降ってきたので、Hが先に一人で下山した可能性に賭け、班長が下山の判断を下した。僕の中には、廃墟で他の3人を置いて先に下山するという行動は信じられなかったので、もう彼はとっくに死体になっているのではないかと気が気ではなかったが、携帯が圏内に入ってすぐにHに電話をかけると、あっけなく出た。
ここで3人はようやく安堵し、Hにどうやって重い懲罰を下すか話しながら下山した。本人いわく、他の3人が見当たらず、雨も降ってきたので不安になって下山したとのこと。うーん・・・・。
さて、ようやく安心して下山することができたのだが、ここで田老最後のアクシデントが。安堵のあまりのんびり歩きすぎたせいで、バスが本当に間に合わなくなりそうになったのだ。とりあえず、先行するHに数分バスを引きとめておくように指示をする。しかし、Tが体力の限界を迎えており、なかなか移動速度が上がらない。仕方がないので、僕が第二次先発隊として走り、バスをさらに引きとめておくことになった。
走り出してすぐにバスが来たという連絡がHから入り、さらに走る速度を上げるが、どうにもメガネがずれる。焦りでイライラ僕はメガネを矯正しようとし、フンッと力を入れた瞬間、
バキッ
やってしまった。め・・・・・・めがねがあああああああああああああああああああああああああ。
しかし、そんなことを気にしている場合ではない。僕はメガネの死を悲しみながら走った。
結局、メガネを犠牲にしての必死の走りが功を奏し(?)、バスには4人全員が間に合った。危なかった。

帰りの道中、市場でめかじきとサーモン、セルフラーメンセットを購入し、夕飯はごちそうに決まった。ふと気が付くと、Hが鉄道むすめのポスターを購入していたので驚いた。
3時間かけて盛岡駅に戻り、すぐにビジネスホテルへ帰った。風呂に入り、班長と一緒に夕食にしたのだが、メニューがカップラーメン(容器確保のため)→セルフラーメン→刺身→アイスだったので、結局1時位までご飯を食べていた。ちなみにセルフラーメンは大失敗。やはり小型のポットでラーメンを茹でるのは無理があったか・・・・。
次の日は待ちに待った遊園地廃墟なので、セロハンテープで眼鏡に必死の修理を施し、就寝した。

5日
朝目覚ましで起きることができず、班長のモーニングコールで起こされた(シングル×4で宿泊したため)。結局、タクシーまで使って急いだが電車に間に合わせることができず、1時間盛岡駅で待つことになってしまった。申し訳ない。
それでも時間は余っており、電車2時間、徒歩2時間弱かけて11時ごろにレジャーランド跡に到着。5時間くらいかけてゆっくり見学した。
一番びっくりしたのは、沼の言い伝えに沿って作られたお姫館という施設が今でも手入れされており(閉鎖から8年)、かなり奇麗だったこと。線香販売機(電気を使わないタイプ)がまだ生きていたので、線香を購入して数本立てた。
他にも、初めての観覧車廃墟とゴルフ場廃墟を見ることができたので、この日も大満足だった。特にアクシデントもなかったし、一番平和な日だったと思う。それなりに時間を余らせ、そこから仙台駅に移動。さらに駅から20分ほど歩き、愛宕大橋下の川辺にテントを設置して寝た。みんな疲れており、口数はかなり少なかった。

6日
朝、近くを近所の人がランニングする音で起きた。かなり奥の方に設営したつもりだったが、そこまでもランニングコースになっていたようだった。特に、散歩中(ノーリード)の犬がテント近くにまで来た時はドキドキした。たぶん飼い主さんもドキドキしていただろう。
だいぶ明るくなってきたのでテントをたたみ、最後の廃墟「愛宕下発電所跡」を目指す・・・・はずが、なんとテントから数十メートルの所に存在していた。運があるなーなどとぼやきながら、1時間弱探索。大部分が浸水していたので、見どころは少なかった。リアルにホームレスさんの住まいになっていたのは笑えなかったけど(僕たちが見に行った時には既に出勤済みだった)。

この愛宕下発電所をもってようやく廃墟旅行全行程が終了。仙台駅まで戻り、電車の時間まで仙台観光をして時間をつぶした。この時すでに僕は金銭が底を尽きており、班長に3000円ほどお金を借りてしまった。どうもありがとう。
途中、仙台城跡を見るグループと、どこかの研究施設を見るグループにわかれてしまったため、帰りの電車は4人一緒でなかったことが残念だったが、仕方ない。この日のお昼は牛タン駅弁で、またもやちょっとした観光気分を味わえた。
弁当を食べた後は8時間の電車の旅がまっていたが、ほとんど寝ていたのでよく覚えていない。今回の旅はかなりワイルドだったが、これが夏休みの最後を飾る旅行にふさわしかったんじゃないかと、少しだけ思う。
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